今回、殺害されたと思われる湯川さんについては、同情する余地無し。望んで殺されに行ったと言われても返す言葉は無いだろう。それ程に危機意識が無いし甘い。消息を絶った8月末あたりから、ほとんどメディアで扱われることが無かったが、それは政府を含め誰も彼の事を心配していなかったことの証(だと私は思う)。
後藤さんについては、出来れば助かって欲しいと思う。仕事柄、危険な場所に行くことがほとんどだと思うが、過去の映像を見る限り超えてはならない線をわきまえていたと思う。シリアに入ったのは湯川さんを助けるためとも言われるが、まず第一に自分の家族のことを考えて欲しかった。そこまで湯川さんい肩入れする理由が全く分からない。彼は、安易に自分の意志でシリアに入っただけだろう。ただ、ちょっと想像出来るのは、戦地などに赴くと理性的な判断と言うよりは、感情的な部分(英雄倫理みたいなもの)が働く気がする。俺がやらずして誰がやる的な・・・
過激派のすることは全く肯定出来ない。ただ、それは差別や憎悪、抜けだしたくても抜けられない変なしがらみなど、些細な事柄が極限まで増幅された結果であると考えると、一生消えることは無い。イスラム国だけを狙ったアメリカの攻撃が善良な市民を巻き込み、両親を失った子供が恨みを増幅させた少年兵になる。単にイスラム教徒と言うだけで、暗黙の差別に押しつぶされてきた若者がヨーロッパから脱出して義勇兵になる。など、色々なパターンが挙げられる。自分の主張が正当だと認めた多数が少数を圧殺する光景は、日本の学校の陰惨ないじめにも通じるところがある。何が正しくて、何が間違っているかなんて、考え方はそれぞれじゃないか。ってことを認め合えなければ、飛躍するけど現状は何も変わらない。しかし、分かっていても私自身は変われない。
このような問題は、解決しようと努力し続ける必要はある。しかし、絶対に無くならないと断言出来る。
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