2013年10月26日土曜日

ふと考える

 礼儀正しさって結構タチが悪い。決して不良を推奨している訳では無いけど、悪意を持った礼儀正しさが不良を生んでいるとも言える。
  悪意は言い過ぎたかもしれないけど、それは自分の手を汚さない手段として用いられる。人が皆道徳的に推奨される礼儀正しさを持っていたら、恐らく世の中は成立しない。いつの時代も無くてはならない仕事って下衆な扱いをされることが多いからだ。しかし、仮に不況でもそれが取り合いになることはほとんど無い。
 震災後の原発の後始末にしたってそうだ。その問題を責任者がどこまで陣頭指揮を取って進めているか疑わしい。現場で起こっている肝心な問題の処理って下請け・二次請け・三次請けに無責任に流されていると思う。そして、おかしな問題が頻発する。色々な意味でアンダーコントロールは流石に言い過ぎだ。
 震災の復興があまり進んでいないのも同じこと。皆心の中で復興を願っている。私だってそれは同じ。でも実体を見れば、結局は臭いものに蓋をしている始末では無いか。或いは、復興予算が別の目的に使われるなんて話は、礼儀正しい人たちがする最も下劣な行為だ。

 飛躍するけど子供の感度ってとても高い。だから、純粋な子ほど「偽りの礼儀正しさ」を敏感に感じとる。そして、その反動で不良になってしまう。目を見れば分かるけど、そういう奴って結構純粋な目をしていることが多い。このような循環がバランスして、結局世の中は成り立っていく。

2013年10月17日木曜日

(文字の)印象

 【Saturday】だったか(【Sunday】だったか)忘れたけど、そうプリントされたTシャツを着た芸人を見て、通りすがりの外人が「サタディ」と声に出した。その裏には「何それダッセー。」と言った含みがあるように思えた。これは、あるTV番組での一幕。土曜日Tシャツは確かにダサいと思う。
 でも、よくよく考えると英字がプリントされた洋服は普通だし、外人だってそれを当たり前に着ている。【I LOVE ○○】みたいなのは、よくあるパターンだと思うけど、それって公に主張するようなことなのか?否、そうじゃ無い。これはファッションなんだと言われることは、分かっている。しかし、それは単に着ている人の気分や意識の問題では無いか?実際に外人がそれを見れば、「私は○○が大好きです。」と言う意味を真に受ける筈だ。そして、○○に入る単語次第では「何それダッセー。」と評価されることになる。しかし、実際はそんなシーンを見ることは余り無い。あれっ、よく分からなくなってきたぞ??
 逆に、これを日本語に置き換えるとどうだろう。最近は外人向けの土産で日本語のメッセージが入ったTシャツやタオルを見るけど、それをまともに着用している人を少なくとも私はダサいと思っている。また、外国の人気歌手や俳優が、クールだと言ってその意味をまともに知らずに、好きな漢字をタトゥーにしているのもダサい。漢字その物の造形がクールだと言う人もいるけど、その意味とのギャップが大ければ大きい程、ダサい度が増す。そんな中、唯一自分が許せるのは【海人】Tシャツだ。何か沖縄人の男らしさが伝わるからだろうか?真の理由はよく分からない。
 
 
 以上で判断するのは浅はかですが、総じて英語はダサそうな言葉でも、単に英語と言うだけでその印象が薄れる可能性が高いと思う。一方、日本語は一部の例外を除き、そのほとんどが衣類などに刻印されるとダサくなる可能性が高い。この問題の真意について、死ぬまでに直接外人に聞いてみたい(笑)。そして、口に出さないだけで、外人同士も実はダサいと思っていたら、ちょっと面白いと思う。

2013年10月9日水曜日

軽いノリ


 大体自分の人生を振り返るとその選択は表層上滑りだ。スラムダンク最盛期で、単にバッシュが履きたいからバスケ部に入り、何となく響きが良いから理系を選び、唯一現実を見据えて工学系の大学に入るが、そのクセ変な理想を描き過ぎた挙句に失望して、単に卒業しただけと言う末路。
 
 そんな自分が今からなれるともなろうとも思わない、憧れの存在が熟練工と呼ばれる人たちだ。靴職人とか仕立て屋とか金型を経験則で修正する職人とか、挙げれば切が無い。でもその数はあらゆるジャンルで減り続けていると思う。

 それは言うまでも無く、人・物・金が陳腐かつ無機質に動き回る世界にはミートしないからだ。流行り廃りの激しい時代に、何十年と時間を掛けないと身に着けられない技能を待っている暇は無い。きっと昔の人は好き好んで選ぶ余裕も無く、ただ生きるために身に着けた職業だと思うが、ニートでも生きていける現代に一つのことに一生を捧げる決意は中々見出せない。
 
 自分の仕事は設計と言っても、朝から晩まで図面と向き合っている訳では有りません。先駆者たちが赤絨毯を敷いてくれたおかげで、新しいアイデアを盛り込む機会もほとんど有りません。ボンヤリしてますが、何とも抗いがたい波に翻弄されているだけです。だからこそ、明確な技能を後ろ盾に気概を持って仕事をする人たちに対する憧れが強いのだと思います。でもそこに首を突っ込む根性は有りません。残念!
 






2013年10月4日金曜日

責任

 
 
 これを英語にするとresponsibilityになる。さらに分割してみるとresponse+abilityになり、そのまま訳すと(反応する)+(能力)になりそうだ。見て見ぬフリをする奴を無責任だと思えば、確かに合点がいく。言葉って本当に良く出来ているなぁ。
 先日、自分の命を犠牲に踏切内で倒れていた老人を救った事故が大きな話題になった。本当に責任感の有る人って本能や直観に従って動けると思う。恐らく、現場に居た女性は自分が列車に引かれる可能性なんて考えなかっただろう。また、自分と老人の年齢を比較した時の命の重みも考えなかった筈だ。客観的には自分の命を優先すべきなのに・・・
 私自身は、このような打算をしてしまうので、ある意味無責任かもしれない。勿論、今回のような局面で勇気を持った行動が取れる人は、良い意味でかなりマイノリティーであることは分かっています。ただ、もっと些細な局面ですら無責任(見て見ぬフリ)を決め込む事が多い自分と彼女を比べると、少し情けなくなります。他人の困りごとに何の見返りも無く手を差し伸べられる精神は、鍛えてどうにかなるものでは無い人間の本質的な部分であり、崇高だと思いました。