2013年10月26日土曜日

ふと考える

 礼儀正しさって結構タチが悪い。決して不良を推奨している訳では無いけど、悪意を持った礼儀正しさが不良を生んでいるとも言える。
  悪意は言い過ぎたかもしれないけど、それは自分の手を汚さない手段として用いられる。人が皆道徳的に推奨される礼儀正しさを持っていたら、恐らく世の中は成立しない。いつの時代も無くてはならない仕事って下衆な扱いをされることが多いからだ。しかし、仮に不況でもそれが取り合いになることはほとんど無い。
 震災後の原発の後始末にしたってそうだ。その問題を責任者がどこまで陣頭指揮を取って進めているか疑わしい。現場で起こっている肝心な問題の処理って下請け・二次請け・三次請けに無責任に流されていると思う。そして、おかしな問題が頻発する。色々な意味でアンダーコントロールは流石に言い過ぎだ。
 震災の復興があまり進んでいないのも同じこと。皆心の中で復興を願っている。私だってそれは同じ。でも実体を見れば、結局は臭いものに蓋をしている始末では無いか。或いは、復興予算が別の目的に使われるなんて話は、礼儀正しい人たちがする最も下劣な行為だ。

 飛躍するけど子供の感度ってとても高い。だから、純粋な子ほど「偽りの礼儀正しさ」を敏感に感じとる。そして、その反動で不良になってしまう。目を見れば分かるけど、そういう奴って結構純粋な目をしていることが多い。このような循環がバランスして、結局世の中は成り立っていく。

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